しずくさん!
昔、競艇は8艇で走ってた時があるってホント?
そうらしいよ!
実際の動画もあるからぜひ観てね!
競艇は8艇で走っていた頃がある
競艇の歴史は古く、大村競艇場での初開催は1952年4月まで遡ります。
この頃から現在と同じ6艇でのレースが行われていましたが、初めて聞かれる方には驚きの8艇で行われるレースも存在していたそうです。
8艇で行われた代表的なレースとして、1953年11月若松競艇場で開催されたSG第1回全日本選手権(現ボートレースダービー)が挙げられます。
競艇選手なら一度は獲得したいタイトルと名高く、SGの中で最も歴史のある全日本選手権を最初に優勝されたのは、長崎出身の友永慶近(ともながよしちか)選手でした。当時25歳と現代では驚きの若さです。
友永選手は翌年の全日本選手権優勝戦にも出場されており、始まって間もない競艇界のトップレーサーであった事が伺えます。
そして、8艇でのレースが行われたこの大会に出場された選手は72人。現在の52人と比べると出場人数も多くなります。8艇になると着順点はどうなるんだろうと疑問に感じますが、艇数に準じた着順点が規定で設けられていたそうです。
併せて艇番色も規定で定められており、1~6号艇までは現代と同じ色ですが7号艇はオレンジ、8号艇はピンクだったそうです。
また、この第1回全日本選手権は4日間開催で来場者人数は延べ2万7千人余りにもなり、売上高は5,500万円を超えました。当時は2連単での賭け式しかない上に、この頃の物価はラーメンが一杯25円ほどの時代ですので破格の売上です。
実際に8艇で行われたレース動画が下記のリンク先のニコニコ動画にあります。ニコニコ動画の規約上、本記事に引用することができませんので、視聴されたい方は下記のリンク先よりご覧ください。(51分51秒から開始)
なぜ競艇は8艇から6艇になったのか?
現在の競艇は、予期せぬ欠場などの特別な理由で6艇より少ない艇数でのレースはありますが、規定においては24競艇場で開催される全てのレースを6艇で番組編成する事が定められています。
それではなぜ6艇になったのでしょうか。
開催が始まった当初の競走水面は、現在より広く設けられており8艇でのレースも成り立っていたそうで、現在の競走水面の広さでは6艇以上は危険度が増してしまう事を懸念しての理由だそうです。
また、8艇の番組を構成する為にはSG第1回全日本選手権の時のように、出場される選手の人数が多くなり、1節の開催に対して経費が多くかかってしまう事も理由として挙げられています。
8艇でのレースはどこまでがスローでどこからがダッシュになるんだろう?と興味深くはありますが、現在の賭け式で舟券を購入する事を想像すると3連単を的中させる事は不可能とすら感じます。
運営する立場や選手の立場、そして競艇ファンにとっても6艇は最も適した艇数であることが納得できます。
競艇の歴史が知れたよ!
ありがとう!
いいえー!
深く知ると競艇がもっと楽しくなるね!